見える世界と見たい世界
「見える」とは一体どういうことでしょうか
目で見たものも脳で処理されて
それが何であるか認識しますよね
大人になればなるほど
見えるものを認識するときに
一緒に過去の感情を引き出していたりもするし
初めて見るものも
それまでに見てきた似たようなものから予測をして
きっとこんなようなものだなどと
推測したりします
だとしたら
この「認識」の過程で
首を突っ込んでくる過去のデータや価値観を
整理することで
ものの見え方って変わるんじゃないかと思うのです
今まで積み上げてきた、自分が自分の中で信頼し、よりどころにしてきたモノたちを
全て手放して、また一から積み上げる作業は簡単ではありません
心の断捨離って勇気がいりますよね
でも思い切って初期化してしまえば
また一から積み上げていくしかないんです
見たい世界をみるってそういうことかも
と最近思うのです
嫌なところを見てみないふりをすることでもなく
現実から逃避することでもなく
全てをいいように受け取ることでなく
次の目的地に向かって
必要なものだけを集め直すこと
途中で目的地が変わったのなら
またその場で荷物のチェックをして
この先の道で必要なものを残し
いらないものはその場に置いていく
必要だけど手元にないものは
先々で調達していけばいいんです
身軽なバックパッカーのように
心の荷物を常に軽くして過ごすこと
私のようにいるものまで捨ててしまって
同じ過ちを繰り返してしまう人もいますが(笑)
何度か繰り返すと
「これは重いけど私には必要な荷物だ」
と気づくことができるものです(汗)
だから手放すことを恐れないでください
目的地を変更することを恐れないでください
大丈夫!
私も同じように見たい世界をみるための
旅の途中です
代わりに荷物をもってあげられるほど
お人よしではありませんが
並んで歩きながら
一緒に先に進むことならできるかも!
と勝手に思っているのです
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